LESSON:3
朝、早くに目を覚ましたアレクサンドはこっそり部屋を脱け出した。向かった先は静寂の森だ。森の中の空気は彼にとって心地の良いものの一つで、故郷を思わせる。
(しっかりしなきゃな…)
アレクサンドは持って来た剣を鞘から抜いて振るう。彼の本分は《ハート》なのだが、この間から演習で組んでいる上級生、しかも《スペード》Kであるヒュークリッドから剣を学んでいる。これまでの2年間にしろこれから受けるであろう《ハート》の授業にも、護身術程度には習うのだが、それとは明らかに質が違っていた。
『剣は心で振るうものだ。護るべきものがあれば人間はいくらだって強くなれる。身体を鍛える事も大事だが、心を鍛え、心を育てる事が本当の強さを得られる唯一の手段だという事を覚えておきなさい』
ヒュークリッドはその為には剣を振るうのが1番だと説いた。心が乱れればすぐにそれが剣に伝わり、顕れるのだとか。
(俺は強くならなければいけない。ナーシャを護るのが俺の使命。それ以外を求めたりなんかしない!)
頑なに尖らせた心は一方で脆い、幼い刃だ。アレクサンドは自身で地場を削っている事に気付いていない。
昼になって、演習で組んでいるヒュークリッドとジゼルの2人と約束をしていたアレクサンドは『椿亭』前に集合した。
「さぁ、今からクリシュを訊ねて月下美人の花びらを貰いに行こう」
「はい、ヒュー様」
ジゼルは《スペード》所属なので、完全にヒュークリッドに心酔している。一方、アレクサンドは従順な後輩とは言えなかった。しかし、言われれば渋々といった態度で従う。
「交渉は…そうだな、アレクサンド、君が1人でやりなさい」
「えっ?」
「クリシュは《ハート》のQだ。礼を欠かない態度で臨めば必ず応えてくれるはずだ。私が頼んだのでは意味がないからね」
それでも、突然に訪ねるのも失礼だから取り継いではくれるらしい。Q専用の寮『白百合寮』に向かう。
「クリシュは居るか?」
入り口でこの寮の管理を任されている女性に声をかけた。
「王女なら、部屋に。本日は外出されておりません」
「そうか。では、行くぞ」
ヒュークリッドの先導でクリシュの部屋へ向かう。西棟の2Fワンフロアーがクリシュの居城だ。
「クリシュ、ヒュークリッドだ。少し頼みたい事がある」
ドアをノックして声を掛ける。暫くして、ドアが開いた。
「珍しい事…どうかなされて?」
「演習の事でな。この者の話を聞いてやってくれないか?」
クリシュはアレクサンドを見下ろした。
「良いわ。お入りになって。ファラムにお茶の用意をさせます。ヒュークリッドとそちらの貴方はこの部屋で待っていると宜しいわ。ファラム!お茶の用意を!」
ファラムと呼ばれたのはクリシュに仕えている使用人だ。トパール人の彼は恭しく礼をするとお茶の準備を始めた。
「そこの貴方、こちらへ来なさい」
クリシュに手招きされてアレクサンドは奥の部屋に通された。そこはクリシュの瞑想に使われる部屋だった。
「こちらにお掛けになって」
アレクサンドは椅子を勧められて座る。一方、クリシュは床の上に置かれた大きなクッションのような敷物の上に座る。
「貴方、お名前は?わたくしはクリシュ。《ハート》のQを務めています」
「アレクサンド…コーヴェ。《ハート》を専攻している」
「そう、同じ専攻ですのね。それで、アレクサンド殿、お話と言うのは何かしら?」
緋色の瞳が問いかけてくる。
「…月下美人の花を、持っていると…」
「確かに、わたくしの温室にはございます」
「演習の課題で必要なんだ…けど、この時期は花をつけないし、花を咲かせるのは難しいと聞いて…アンタ、じゃ、ない、貴方の温室には『咲き続ける月下美人』があるとヒュー先輩が教えてくれて。もし、よかったら…」
たどたどしく言葉を紡ぐアレクサンド、クリシュはにっこりと微笑むとこう言い放った。
「お断りします」
「えっ…あ、う、ん。そうか…」
アレクサンドはシュンと俯く。
「わたくしの月下美人は特別なものなの。花は散るもの…もう2度と同じ花は咲かないわ。それがどういう事か、お解りになる?」
「貴方にとって、大切で、代わりの効かないもの…」
「そう…大切なものよ。それを欲するというのなら、貴方も同じ重さだけの物を手放す御覚悟はあって?」
アレクサンドの脳裏に浮かんだのは双子の姉・ナターリアだった。
「それは…」
「《ハート》で学ぶ以上、『代償』を知るのは必要な事です。他者を救済するといえば聞こえは良い。だが、それを行うに当たっては必ず責任が必要になります。『犠牲の上に成り立つ救い』もこの世には確かに存在します。それを行えるのはその同じ重さの責任とそれを背負う覚悟が必要になるのです。それこそが『代償』と言えましょう?貴方には、わたくしに想い出を失わせるだけの覚悟をお持ちかと訊いているのです」
凛とした美貌が微かに歪む。彼女にとってその花は特別な想いの宿るものなのだ。
「花は、一度きりのもの。いつかは散るものです。それを留めるのはわたくしの傲慢な想いから…それでも、失いたくない想いというものがここにありますの」
クリシュは胸に手を当てる。
「俺には護りたいものがあるし、貴方の言葉も…解ります。けど、想い出は本人が覚えている限り消える事はない!だから、花は俺に下さい。俺は…俺が差し出せるものは…」
(俺にとって大切なものはナーシャだけ。だから、ナーシャを護りたいというこの気持ちを俺は差し出す)
「俺はこの『護り刀』を貴方に差し出す。これは…俺がナーシャを護ると決めた時に初めて手にした力の象徴…俺の信念だ」
アレクサンドは懐から短刀を取り出し、クリシュに渡した。
「貴方の信念は折れないと、そうわたくしに誓えますか?」
「はい!」
「そう…よろしくてよ。ならば、わたくしも貴方に差し上げましょう。こちらへ…」
クリシュが招いた先は露台を改装して造られた温室だった。そこに、月下美人の花は艶やかに咲いていた。
「どうぞ、お取りになって」
アレクサンドは月下美人を鉢ごと持ち上げた。
「これはこのまま持っていくよ。花びら、わざと散らせるのは可哀想だし。この花、多年生だからまた花は咲く。もし、来年花が咲いたらアンタに返すよ」
クリシュは目をパチクリさせた。
「まぁ…それはそれは御苦労様なことですわ。わたくし、その頃にはガーネッシュに帰っておりますわよ?」
「えっ…そうなのか?」
アレクサンドは外した事を言ったと思って真っ赤になった。
「お気持ちだけは頂いておきますわ」
くすくすとクリシュに笑われて、アレクサンドは恥ずかしさの絶頂だった。
「…だったら、ガーネッシュまで届けてやるよ!絶対、アンタに返しに行く!」
だからつい、ムキになってしまう。
「わかりました。では、わたくしもそれまでこの刀をお預かりする事にしましょう」
クリシュはアレクサンドの短刀を両手でしっかりと抱える。アレクサンドは大きく頷いた。
こうして、交渉は何とか成功を収めたのである。部屋を出るとヒュークリッドとジゼルが待っていた。
「終わったか?その様子だと交渉は上手く行ったようだな」
「…はい」
何故かヒュークリッドから目を逸らすアレクサンド。心なしか顔が赤い。
「クリシュは?」
「ここに居ますわ」
続いて奥の部屋からクリシュが現れた。
「悪かったな、無理な頼みをして…あの花は去年、アルソー殿から贈られた品だろう?」
「ええ…まぁ」
「それを取り上げるような事になってしまって…」
「謝罪は結構よ。ヒュークリッド、わたくしは素敵な代償を得ましたから」
にっこりとクリシュが微笑む。アレクサンドは恥ずかしさの余り顔が上げられなくなってしまった。花に埋もれるように顔を伏せる。
「…なる程。それでは失礼するよ、まだ課題は残っていてね」
「そう。それではお引止めするのはご迷惑ね」
談笑するヒュークリッドとクリシュは身長の釣り合いも取れ、実にお似合いだった。ジゼルはおとぎ話の王子様と王女様のようだと見惚れた。一方、アレクサンドはバツが悪そうな表情をしていた。
白百合寮を後にした3人が次に向かったのは購買施設にあるテーラー『ブルートゥリ』だ。「こんな店が何故あるのか?」と生徒に怪しまれるほど古臭い型の服ばかりが置かれている(ぶっちゃけおっさんぽい)店なのだが、この店だけは仕立てを全て店内で行う。仕入れたものは一切ない。完全オーダーメイドの店なのだ。アレクサンドはこの店の常連だった。彼の辞書にファッションセンス等というものは存在しないらしく、ルームメイトのミハトにいつも嘆かれている。
「…ここに頼んだのか?」
「はい。その場で作ってくれるし、糸を紡ぐ所からやってくれる所は他にそうそうありませんし」
アレクサンドはヒュークリッドが渋い表情をした意味がわかっていない。
「…背に腹は変えられないと言う訳だな」
「ちゃんと羽衣ができているか心配です…」
ジゼルも不安げに眉根を寄せる。そんな二人の心配を余所に、アレクサンドは堂々と店に入って行った。
「おっ、おじさん。頼んだやつ、できてる?」
「おお、アレクサンドくん。できているよ。傑作がねぇ…」
無駄にカイゼル髭の店主が奥から商品を出してくる。
「ほぉ〜ら、虹色タキシードじゃ☆どうじゃ?なかなかイケておるじゃろう?」
流石にこれにはアレクサンドも固まった。
「…あ、いや、そうじゃなくて…」
「ふぉっふぉっふぉっ、ちゃんとできておる。材料が余ったのでつい創作意欲が沸いてしまったんじゃよ。頼まれた品はこれじゃな」
それは虹色のショールだった。
「いくらだ?」
「いやいや、金は要らんよ。ナナカライコの糸をあんなに仕入れてくれたんじゃ。こちらが報酬を払わにゃイカンくらいじゃよ」
「そうか。ありがとう、おじさん」
アレクサンドは虹色のショールをもってヒュークリッドたちの待つ店の前に行った。
「おまたせしました。『虹の羽衣』です」
「…ああ、よくやったな、アレクサンド」
ヒュークリッドは現物を見てホッと胸を撫で下ろした。シンプルな織りのショールがそこにあったからだ。
「今日はここまでにしよう。明後日はシーホースを討伐しに行く。くれぐれも準備を怠らぬように」
「はい」
「はい、ヒュー様!」
ヒュークリッドと別れると、ジゼルはアレクサンドにこう言った。
「ねぇ、ヒュー様とクリシュ王女様ってお似合いだったね!」
アレクサンドはさっきの光景を思い出す。
「…そうだな」
(でも、彼女の好きな相手は違うぞ…)
アレクサンドは知っている。あの月下美人はただ贈られたプレゼントではない事を。
「お似合いといえば…貴方とミハトちゃんもお似合いよ!」
「はぁっ?」
「だって、ミハトちゃんて女の子並みに可愛いじゃない」
「アレのどこが?」
「小さくて、目も大きいし、色も白いし…ナターリアと並んでも女友達にしか見えないし」
アレクサンドは不機嫌そうに目をツリ上げる。
「あれ…?ナターリアとエセル様?」
――ズキッ!
アレクサンドの胸に刺さる。痛みに目を向けると、2Fの吹き抜けになっているオープンカフェ『ロワール』でお茶をするナターリアとエセルの姿を見つける。
「――やっぱり!どうして二人で?」
「演習で組んでるからだろ!」
「あ、そうか…でも、すごく仲良さそう…」
ジゼルが羨ましそうにしている。
(ナーシャ…)
「ペンの1本や2本…別に構わないのに。お前、律儀だよな」
「…そんな事ありません!エセル様のペンはオークションで500Rの価値があるってミハくん言ってました。それを勝手にお借りするなんて…良くありません」
エセルはん〜っと唸りながら髪をクシャクシャっと掻いた。エセルにしてみれば別に返してもらわなくても良かったのだ。だが、たかだかペンに500Rの価値というのはどういう事なのだろうと不思議にも思った。
「じゃあ、これ、お前にやるよ」
「えっ…!」
「ナーシャが持ってれば良い。そんな価値あるもんならやるよ。俺にとっては大した品じゃねーし」
うっかり返しに来たはずのペンをナターリアは貰ってしまった。
「でも…」
「ほら、仕舞っとけよ。さ、何にする?奢ってやるから好きなの頼めよ」
「あのっ…私、自分で…」
「こういうのは男が払うもんなんだろ?」
エセルが笑う。ナターリアは真っ赤になってしまう。
「…はい。それでは…シフォンケーキのセットを…」
「シフォンのセットな。じゃあ、俺は…」
傍から見ているとどう見たってデートである。周囲の注目を浴びまくっているにも関わらず、2人は全く周りを気にしていない。まさか、アレクサンドがそれを目撃しようなんて思ってもないだろう。
「あれってデート?」
「知らねぇ…俺は帰る!」
アレクサンドは足早にその場を離れようとする。これ以上は見ていたくなかった。何故なら、ナターリアは明らかにエセルに対して好意を抱いているからだ。
(エセル様がどうだっていうんだ?俺がナーシャを護るんだ!他の誰でもないこの俺が!《スペード》Aが何だっていうんだ?強く…強くなれば良いんだろっ…!)
ジゼルを置いて向かった先は静寂の森だった。一心不乱に剣を振るう。頭の中が真っ白になるまで、何も考えられなくなるまでひたすら。
(強くなる!強くなりたい!強くなる!)
腕が上がらなくなるまで続けてついにアレクサンドはその場に崩れた。仰向けに倒れた状態で空を見上げる。気がつけば辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
「はぁ…はぁ…」
「何やってんの、アッくん!」
「…ミハトか。見て分からないのかよ、剣の稽古だよ」
ミハトはバイト帰りの格好のままアレクサンドを迎えに来た。
「馬っ鹿じゃないの?そんなトコでエセル様と張り合おうとしてるなら無駄も良いトコ!絶対、勝ち目なんてないよ!」
ミハトは容赦なく切り捨てる。
「強くならなきゃいけねーんだよ、俺は!」
「強く…」
「俺の弱さは心の弱さだ。それくらいバカな俺でも解る!だから、それをなくす為に剣を選んで何が悪い?」
その言葉を聞いてミハトはにっこりと笑った。
「それだったら良いよ。アッくんが『自分の為』に決めた事なら俺は反対しない。むしろ応援してやりたいくらい」
「お前の応援なんかいらねーよ!」
「本当はして欲しいくせに!本当はオプション料金取りたいトコだけど、他ならぬアッくんになら無料でしてあげる」
「要らん!」
アレクサンドはすっくと立ち上がって歩き始めた。
「…素直じゃないなぁ☆」
少しずつ、君から離れる準備を始めよう。
それが君に贈る俺からの最大の贈り物になるように…。
ようやく3話目です!
今回はアレクサンド中心に書いてみました。
結構、書いてるうちに書きやすくなってきました。
ジゼルは表面的にはもっとクールな子のはずが、アホ全開に!
いや…設定はアホやねんけど。